Dream Potの考え方
たった一匹の羊のために
私はクリスチャンではありませんが、聖書に出てくるこの話が好きです。
「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか?
そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。」 (ルカ15:4-6)
落ちこぼれだった私は、この迷い出た羊が自分に思え、見捨てられることなく探し出して貰い、あなたが大切なのです、と言われているようで。
また、自分がサポートする立場として、 考えたこと。
今は、スピリチュアル的に流れが早くなっているそうで、悠長なことは言っていられないとも聞きました。大勢の人を引きつけるパワーのある方がどんどん現れ、ガンガン気づきを促しているようです。
私も、頑張ってそうならなければ!という焦りを感じたりしましたが、どう考えても、出来ない!やはり私には向いていないのかも。
頑張る意味なんて無いのでは?と、何度も遠ざかろうとしました。
が、ある本の中に「ひとりでも(気付きに導ければ)良いのです」という言葉を目にした時、見失った一匹の羊の話を思いだし、胸にポッと火が灯った感覚を覚えたのです。
還元すること
こんな私でも役に立てるのかな? 私には何が出来るだろう?
そんなことを、ある職場でも考えていたことがありました。
すると上司が、「あなたは今まで色々な人に面倒を見て貰い、育まれて今の自分があるのではないですか?
恩返ししようにも、今はその人達は身近な存在ではなくなっているかもしれません。でも、自分が学んだことを、次の世代に還元していくことは出来ます。それが大きな意味で恩返しになるのではないですか?面倒を見てくれた人達も、面倒見られて育ち、私たちに還元してくれたのです。私たちが伝えた人は、きっと、何かの形で周囲の人に還元していくでしょう。」
一人の人をじっくりサポートすることで、サポートされた人が、今度は周囲の人をサポート出来るようになる。
私は、“慈愛の連鎖”と呼んでいますが、それが起こる……のだとしたら、焦って無理に活動を広げようとしなくても良いのだと
思えてきました。
私は私の特性、じっくり話を聞き、経験も活かし、成長を促し見守る。
こんな風に、長いスタンスで、終生、寄り添う役をやっていこう!と。